6/29(wed)
6/28(tue)
寝不足で出勤。前日風呂に入ってなく、朝は雨が降っていたため7時前に起き支度をし普段より早く家を出た。
仕事は単純作業の繰り返しと、この日も40件ほどの電話に出て終わり。
帰宅してそのまま彼が帰るまで眠る、深夜起きて薬だけ飲み、またすぐ眠った。夜にこんなに長いこと寝たのは久しぶりだった。
6/27(mon)
全然追いつけない、水曜日に書いている月曜日の日記。
約1週間ぶりに出勤。薬が効くまで時間がかかった。以前は症状が落ち着かなくても出勤していたけれどそういうのはもうやめた。お金に困ったときだけにする。
わたしのいない間に業務が減っているかというと全くそんなことはなく、しっかりわたしの分の仕事は残されている。休み明けいつも思うが、わたしがこのまま仕事に来なかったら、この仕事は誰がするのだろう。この職場の嫌いなところのひとつは、量の多いものを放置するところ。山積みになった書類を黙々と減らし、50件弱の電話に出て1日終わる。
帰ってから泥のように眠り、会社の安否確認(予行)の電話で起きる。22時すぎにフリーダイヤルから電話が鳴り寝起きの心臓が跳ねた。登録メールアドレスにメールが届かないと自動で電話がくるらしい。なにもこんな遅くに、と思い登録を修正した。
その後だらだらと頭だけ起き、夜中にうどんを茹で、帰ってきた彼とあまり食べずに、つけっぱなしのテレビから流れていた『17歳の肖像』という映画を30分ほど見てベッドに入る。深夜3時頃に眠った。
6/26(sun)
1日遅れで書く。
朝イチでユヌクレへ行くため7:30頃起きる。いそいそと支度をし8:20頃出発。彼もきちんと起きて一緒に出発。前日も深夜まで仕事をし、わたしの休日にはこうして朝から付き合ってくれることを本当に感謝。
三茶に自転車を停め、はじめて世田谷線に乗った。バスと同じ前払いのシステム。山下で降りて歩いてユヌクレへ。9時過ぎに着き列に並び10時前に店内へ。2度目にしてデニッシュにありつけた。キウイのデニッシュと、ルバーブとバナナのデニッシュ。その他食べたいものを次々とトレイに乗せ、お会計3600円ほど。およそパンを買う金額ではないのだがもはやこれが趣味なので厭わない姿勢。お目当のミントクリームのサンドウィッチ(“サンドイッチ”ではない)も無事購入。
精神の発達していないわたしは目当てのものが手に入らないとたまらなく悲しく不機嫌になるので、もしもこれが買えなかったらどうしようと店先でずっと不安だったのだがなんとか危機は免れた。しかしこういう楽しみと不安が紙一重の状況があまりに多過ぎて生きているのがつらくなったりもする。
要冷蔵のミントウィッチ(と呼ぶらしい)は出てすぐ歩き食べし、前日に得たパン屋の情報を元に経堂へ。豪徳寺から経堂までの道のりはとても気持ちがよかったし、はじめて行った経堂は想像よりもはるかに活気のある街だった。商店街の入口と出口に変なハートのマスコット?の石像?みたいなのがいて、それも気に入った。
Googleマップを見ながら目的地へ向かうと、到着と同時に店が開き驚いた、そういえば開店時間はまったく調べていなかった。ここでもミントウィッチと、あとマンゴーとえびのサンドウィッチを買った。目の前の公園でどちらもすぐ食べた。
そこからまた歩き、世田谷線の山下のいっこ手前(三茶寄り)の駅から乗り込み、三茶から田都で二子玉へ。しかし二子玉ではふたりともくたくたの睡魔にやられ、少しふらふらしたのちうどんを食べて帰った。
わたしたちは本当によく食べる。さいわいなことによく歩くのでギリギリのバランスを保てている。
三茶に戻り自転車を出し、彼はそのまま店へ行き働く。わたしは帰宅するも家の前に知らないおじさんがいてこわくてしばらく避難していた。15分ほどでいなくなっていたので恐る恐る部屋に入った。とても暑い日だったけど、なんとなく窓を開けるのもこわくなって、うだる部屋で19:30まで眠った。
夜は店へ行き、友人へパンを渡し、学芸大学の大阪王将で夕飯。信じられないほど食べている。
この友人もほんとうに優しいし、わたしの周りは奇特な優しさをもったひとがいる。
0時頃帰宅し、彼を待って、眠った。
6/25(sat)
本日も欠勤。まだまだ痛いがようやく回復の兆し。
それよりもおとといから右首〜肩甲骨あたりを盛大に寝違えており動くたび激痛。右首は十代の頃から故障しているけど放ったらかしにしているからいつかとんでもないことになる気がする。というか今もわりかしとんでもなく痛い。
痛い、痛いとそればかりの日々だなと思う。
夜、七時を過ぎてから商店街へ。大声を出している老人がいた。偏見ではなく経験として大体の老人が嫌いだ。歳をとると怒りが一番楽に発せられる感情になるのだろう。母も近いうち老人になる。でも母のことはずっと好き。
東急ストアへ行ったら六花亭のバターサンドが売っていて、5個入り650円に躊躇すると彼へラインしたところ、買っておいでと言うのでとても嬉しくなった。上機嫌で買い物袋をぶら下げて帰った。
彼は優しい。そんなのはもうずっと前からのことなのだけど。わたしは彼の良いところをたくさん知っている。性格が正反対なところも気に入っている。なによりわたしたちの生活はいつも笑顔だ。わたしは彼と付き合ってようやく人間になれた気がすると、いつも思っている。
6/24(fri)
今日も仕事に行けず。
症状のことを具体的に書かないのは書いているわたしも読むひと(いまのところいないけれど)もうっとなるようなものだから。とりあえず痛い。眠るときも痛いのだけど、一度眠りに落ちてしまえば目覚めるまでは痛覚と遮断されるので昼間はずっと寝ている。といっても痛みで起きるからそこまで長くは眠れない。
そろそろ薬が効いてきてもよい頃なのだが一向に改善の兆しがない。今月は月初にも頗る悪くなりブーストしていたものだから、もしかしたら耐性がついたのかもしれない。もしそうだとしたらお先真っ暗なのでなるべく考えないように、無理なんだけどなるべく、治るイメージの中に身を置く訓練をしている。
昨日からずっと麻婆豆腐が食べたくて、夜になってからいそいそと買い出しに行き作った。料理はいい。頭から余計なものが追い出されるから。食べればおいしいし。家は二人なのにいつも四人分のレシピを見て作ってしまう。そしてそれを二人で平らげてしまうのが問題。
明日こそ仕事へ行きたいと思い祈りながら、痛みのなか眠る。朝起きて絶望する。というイメージを払拭しなければならない。
6/23(thu)
仕事に行けなくて家にいる。6月に入りまだ5日しか仕事に行けていない。恐ろしく寛容な我が職場は、わたしの病状に一定以上の理解を示し、来れる日だけ来てくれればいいと言っている。わたしの代わりはいくらでもいるが、わたしの片付けられる仕事もいくらでもあるということ。秋には勤めて3年になるけれど、本当は今月で辞める予定だった。もうずっと、職場への不満が蓄積しており、しかしそれと同量の諦め、というか、わたしもこの職場に対し一定以上の理解を示してしまっている。
生きていくうえでは金銭がいる。来年には30となる身としては、それはそういう現実である。腹が減り、夜眠る、歯を磨き、朝目覚める、と同列の。金を稼ぐという現実。もう逃げようとは思わない。というかとっくに逃げ道など、ない。どうにかしなければ生きていけないというそれだけだ。
夜中に大泣きした。痛みで眠れず、悔しくて悲しくて気付いたら泣いていた。医者からは完治はしないと言われている。いつか薬が効かなくなったら、と毎晩うなされる。それでも逃げ道はない。
ある種の報復かとも思う。思うが、馬鹿らしくなりやめる。わたしが傷つけた人々(主に男)は確かに痛手を負ったかもしれないが、それで人生が狂った人などいないのだ。いたとしても、それはその人の人生だし、そのせいでわたしが苦しむなどいい加減にしてほしい。と言い聞かせる。
わたしの苦しみはわたしの人生のものなので、他人から見た生活はどこまでも気取ったものでありたい。そうでないとやっていられない。他人から羨まれるそのかげで泣いていたい。